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佐々木毅『プラトンの呪縛』

 佐々木先生の『プラトンの呪縛』です。

プラトンの呪縛 (講談社学術文庫)

プラトンの呪縛 (講談社学術文庫)

 

 本書は、20世紀におけるプラトン解釈、より正確には「政治化」されていったプラトンを巡る議論の展開を振り返りながら、20世紀の政治思想史の一端を描こうとしています。「政治化」とは、20世紀当時の政治情勢に関連付けられながら、その思想が解釈されていったという動向を指します。すなわち、20世紀に入って、旧来の秩序が解体し、急速な民主化が進められる過程にあって、同じくギリシア社会の解体期に登場したプラトンの思想が、非常なアクチュアリティをもって解釈されるようになったということです。本論では、新たな国家の行く末を示唆する存在としてプラトンを解釈していくドイツの議論に、英米における「プラトン批判の砲列」を対置しながら、プラトンの「政治化」の経緯を詳述されていきます。ナチスドイツのファシズムやソヴィエトの全体主義国家が登場すると、プラトンの国家像がそれに重ねられ、「政治化」は一つの極点に達することとなりました。

 

「警告者」としてのプラトン

20世紀後半になると、ワイルドやシュトラウスらによって、全体主義国家の積極的容認といった「改釈」は微妙に息を潜め、その反面、近代的価値観に警告を与える存在として、有益な部分が強調されるようになります。プラトンを巡る議論は次第に下火になっていったようですが、それでも依然として、プラトンを頭の隅に留めおく意義はあろうと本書は説きます。冷戦終結とともに「歴史が終わり」、自由民主主義を根本的に否定するような思想的ないし政治的勢力はおおかた失われていったが、むしろそれ故にこそ、「自らの足で立つためにますます思想的な「警告者」を必要とするようになっている」(363頁)と論じられる訳です。

 

本書は98年に書かれ、2000年に文庫化されたようですが、2017年現在、「警告者」の必要性は、かつてより高まっているのかもしれません。ただ悩ましいのは、自由や民主政治、平等といった価値観に対して向けられたプラトンの批判の鋭さに由来する、ある種の「ジレンマ」の存在でしょう。すなわち、一方で、その批判の鋭さゆえにこそ、「よき警告」として、近代的価値観の自戒を促すといった役割を期待できるのでしょうが、他方でそれは、プラトンの民主政治批判が、現代にも容易に援用できてしまうことをも示唆しているのです。そればかりか、少なからず魅力的なオルタナティヴな政治の在り方さえ提示されます。「よき」警告者であればあるほど、「悪用」(と言っていいのか分かりませんが)されたときの威力も大きくなります。本書が世に出された当時、自由民主主義が「安定した思想的地位を確立した」ように見えた時期にあっては、まだそうした潜在的な副作用に抗するだけの余力もあったかもしれません。しかし、この「ジレンマ」をよくよく考えて見るならば、プラトンは、一度弱ってしまった者が飲むには少々「劇薬」に過ぎるのではないかと思わずにはいられません。